dónde están Los Andes?

今朝、ボリビアで出会ったチリ人が、日本人監督によるアンデス高地のボリビア人の暮らしを描いた映画『el regalo de la pachamama 』(邦題『パチャママからの贈り物』)のリンクを送ってくれたのですっかり里心がついてしまった。そうでなくても今日は少し憂鬱な1日で、なんだかすっかりメソメソしている。

パチャママからの贈り物』は4月の国際ナンチャラデーに四谷のスペイン語学校で上映されていたのだが、結局見に行かなかった。おそらくDVD化されていないようなので、来年こそは見に行こうと思う。

https://youtu.be/_U4yATPnlZU

 

さて、里心のついたわたしは、彼と出会ったOruroのカーニバルの写真を見ながらため息をついては、アンデス山脈が見えない〜と嘆くのだ。あぁ、斯くも美しき国、ボリビアよ〜どうしてわたしはそこにいないのか。

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Oruroの鉱山で出会った少女(彼女は鉱山で働いてるわけではないが)は、私の英語を話せることを褒めたけど、彼女は完璧にスペイン語ケチュア語を話していた。(彼女は母や祖母とのコミュニケーションにケチュア語を使っていた)

Uyuniのツアーのガイド兼ドライバーの同年代の青年も、完璧にスペイン語ケチュア語を話していて、スペイン語話者のツアー参加者にケチュア語を教えていた。しかし、彼もやはり英語を話せるようになりたいのだと言った。

 

わたしはその時、彼らの文化をどれほど美しく感じ、そしてこれからその美しい文化を守るためにその言葉が必要になることを、ちょっとも上手く伝えることができなかった。それは不甲斐なくて情けないことだ。

 

わたしがひとつだけ覚えたケチュア語は、hermano kuna(綴りがあっているかは不明)。

スペイン語でamigos(=友達)にあたる言葉だが、hermanoはスペイン語では兄弟を意味する。英語圏でもそうだろうけど、スペイン語圏でもまた、非常に仲のいい親密なamigo(a)をhermano(a)と表現することもある。不思議な偶然。

そもそもhermano kunaはケチュア語にとっては外来語なのかもしれない。kunaは複数形を意味する言葉らしいので、きっとそうだろう。

鉱山などの中に飾られた守り神的な銅像は、tioと呼ばれるが、これはケチュア語には『神様』にあたる言葉がないために、スペイン語のtio(=おじさん)が使われているそうな。